SSブログ

相性についてしみじみ思うこと [占星学]

やはり人は一人では生きてはいけないものです。そしてできることなら、自分が好意を抱いた相手とは、うまくやっていきたいと思うはずです。
それが異性であれ同性であれ、「相性のいい人」とできるだけ出会いたいし、一緒にいたいでしょう。

でもこの「相性」っていうのがなかなか曲者でして、一般的に占星学でいうところの「相性がいい」というのは、太陽星座や月星座などの個人天体が主にトラインになっているというように、あまり一緒にいても矛盾のない、似た部分がある相手のことを示します。

ところが実際に付き合う場合、自分と似た人は確かに理解し合うことは容易にできるのですが、一緒にいてワクワクするとか、ドキドキするというような、特に恋愛における醍醐味はほとんど味わえません。
若い時だとまるで出会ったばかりなのに老夫婦のように縁側でお茶を飲んでもおかしくないような雰囲気になってしまいますので、癒されるしホッとできるのですが、何の刺激にもなりませんから、そこから先の進展が果たしてあるかというと、男女の場合だと多くは親友みたいな関係にしかならない事のほうが多いと思います。
私みたいな初老になってくると、確かにもう刺激など必要ないので、多分相性がいいというのは、

長く一緒にいても疲れない関係

のことを言うのだろうと思います。

もちろんトラインだらけのご夫婦も存在しますが、夫婦というのはとにかく「縁」がなければただの仲良しで終わりますし、この「縁」というのもまた、「良縁」と「悪縁」があって、前者は文字通り良いご縁なのですが、後者の場合やや厄介で、前世ではご縁がなく結ばれなかった関係を示しますので、そういった場合、リベンジとして今世でまた出会うケースがあります。
こういう縁の場合はやはりトラインやセクスタイルなどのソフトアスペクトがあったほうがうまくいきますので、そうでない場合は試される関係になります。

もっと厄介なのが、リリスやドラゴンヘッドなど、前世でお互いにつきあっていたり、何らかの関係があった相手になりますからもっと複雑です。ドラゴンヘッドの場合は「良縁」ですから前世で恋人だったけれど結婚できなかったとかそういう場合ですがドラゴンテイルが絡むと受け手になるライツ・アセンダント側が前世でどうも、相手に対して傷つけているという記憶がありますので、今世ではどうしてもその相手に対しては甘くなりがちです。
リリスになってくるともはや、いいなずけがいたので泣く泣く別れたとか前世でもっとドラマチックな展開があったと思われますし、もしかすると前世で駆け落ちしたとか不倫関係だったとか、いわくつきの恋愛関係だったとも言えますからもっと大変です。これも、リリスの持つブラックホールのような吸引力に、ライツ側が引き寄せられてしまい、今世で夫婦になると、別れたくても別れられないケースが多くなります。
ただ、リリスの絡む夫婦も結構います(私のところもそうです)。ある意味覚悟の必要な結婚なので、私の場合も、決して順風満帆とはいかなかったですが、主人のリリスが平均位置だと山羊座なので私が引き寄せられ、どうも、因縁を背負っているようなので、主人は長男であるにもかかわらず一人っ子の私の母親と同居してくれていたり、いろいろ我慢を強いられていますから、私は主人をないがしろにはできません。
しかも、真位置だとリリスは水瓶座になるため、私の母とも因縁があるわけです。
あと、個人天体同士にトラインが一つもないので、本当に「家族」という現実生活におけるミッションを遂行するために結婚したような感じです。

私たち夫婦のように、縁だけが結構あって恋愛を示すトラインがないというケースはまさに現実生活としての家族関係が一つの課題になっているのかもしれませんが、もともとの性質を示すライツが現実的な場合はさほど不満は感じないかもしれません。実際、小さな不満はあっても、私はあまり家庭に情熱とかべったりした関係を望まないので、まあこんなものかと思っていますが、獅子座生まれの主人にとってはきっと私は退屈で面白味のない人間なんだろうなと思ったりもします。

ただ、トラインばかりが多すぎても夫婦としてはいささか問題で、常に恋愛気分をお互いに求めてしまいますから、年齢を重ねると果たしてその情熱が続くかどうかという現実問題も出てくるでしょうし、お互いのことが気になりすぎると、エネルギーを消耗しやすいとも言えます。

その点、セクスタイルが多いと程よく「空気のような関係」でいられますので、案外心地よいでしょう。
似たもの同士のホッとした関係を望むか、情熱的で刺激のある関係を望むかというもともとの性格によっても、「相性がいい」という感じ方は異なると思います。

あとは、「シナストリー」という通常の観方で、相手の惑星が自分のどのハウスに入るのかで関係を見ていくとやはりどういう関係かがわかります。
私の8ハウスにある天王星の上に主人の太陽が乗りますから、どちらかというと、深く関わると別れそうな関係なのですが、私たちはリリスやドラゴンヘッド絡みの縁が深いのでそうもいかないし、主人のホロスコープの7ハウスに私の火星がありますので、これもまた別れてもおかしくないし、喧嘩も多いと思いますが、私の太陽と金星がともに主人の3ハウスにあるためか、コミュニケーションを取ることで結婚生活が維持できるという感じです。ただ、年を取って本当に話すこともなくなってきて、私たちは努力とエネルギーが結構結婚生活の維持のためには必要な相性ではあると思います。

山羊座と獅子座の夫婦ですので、どちらもまあ、真面目である意味責任感の強いサインですから、嫌になったからハイさようなら、とはなりにくいでしょう。

素晴らしい相性でもあっさり別れてしまう夫婦やカップルもいます。
要は、究極のところ「縁があるかどうか」が大事なのかなというのがいろんな相性を観てきて最近思うことだったりします。
あとはその人のもともとの性質にもよりますし・・・。

もともと相性がいいと言われている夫婦より、努力の必要性がある相性の夫婦のほうが実際には努力をして関係を築いているところが多いので、恋愛においては確かにお互いに好き!と思えるような相性のほうがいいですが、長い年月「運命共同体」として「生活」していくパートナーというのは、ただ好きというだけではなかなか持続できないものだと思います。

相性と一言で言ってもなかなか本質は難しいものだなとつくづく思います。

nice!(2)  コメント(4) 

久々の12星座あるある [占星学]

最近、レッスンの際に生徒さんと「〇〇座あるある」の話題で盛り上がることが多いのですが、
もちろん、太陽星座だけのことなので、まるで違う!と感じられることもあるとは思います。

ただ、先日話していた中で、どの星座も「寂しさ」を感じる事があるとは思いますが、どんなふうに、どんな時に感じるかはやはりかなり異なると思います。

そもそも「さびしい」という文字も「寂しい」という常用漢字と、「淋しい」というのがあります。
前者は「静寂」などというときに使われるように、状況や様子を示す「さびしい」ですが、
後者はさんずいへんですので涙を流すような「さびしい」で、情緒面を示します。

となると、火や水の星座の場合は情緒的で感情が直結しやすい性格なので「淋しい」という形容が当たるでしょうし、地や風は感情的というよりもクールですので「寂しい」と形容されるようなイメージです。

そんなことから、独断と偏見で12星座それぞれの「さびしさ」に関する考察をしてみたいと思います。

牡羊座・・・比較的一人で何かに熱中しているときはあまりさびしさは感じないタイプですが、暇や退屈など、ぽつんと時間ができてしまったりすると突然「淋しさ」を感じるかも

牡牛座・・・お金が減っていたり冷蔵庫の中が空っぽになったり、モノがないと虚しいし寂しい。五感に優れているので、モノクロばかりの世界や音のない場所はさびしく感じるかも

双子座・・・さびしいのはいやだから比較的賑やかに振舞いますが、一日中誰とも会話しなかったとか、そんなことに気づいたら途端にさびしくていてもたってもいられなくなるかも

蟹座・・・単純に「ぼっち」の状況には至って弱いかも。世話を焼く存在があると生き生きしているけれど、それがなかったり相手に通じなかったとき「淋しい」とたまらなくなるかも

獅子座・・・意外と孤独に弱い一面があるため、やせ我慢をしているけれど、意味もなくテレビをつけたりしているタイプ。自分の知らない話題で周囲が盛り上がっているとさびしいかも

乙女座・・・物理的にさびしい場所とか、静かすぎる場所にいると孤独感からくる寂しさに見舞われそう。大勢でいるのに打ち解けられなかったりするとものすごくさびしく感じてしまうかも

天秤座・・・人の評価を気にしてしまうタイプなので、評価をしてくれる人がいないととても虚しく寂しく感じるかも。誰にも関心を持ってもらえない場合など、とてつもなくさびしいかも

蠍座・・・孤独には強い星ですが、思い入れの強い人の存在があってこそ。誰も好きになれなかったり自分の感情が無になってしまったとき、生きているのが嫌になるぐらい淋しくなるかも

射手座・・・基本的に好奇心旺盛なタイプですが、何に対しても情熱を感じなくなったり無気力になった時の弱さは結構露呈する。閉所も嫌いなので閉塞感に見舞われると淋しさを伴うかも

山羊座・・・社会とのつながりを感じたいタイプなので、自分が役に立たないと感じたり、無力だと感じてしまうと自信を喪失するため、目標を失うと寂寥感に見舞われてしまうかも

水瓶座・・・さびしさを最も感じにくい星ですが、意外と季節の移り変わりとか、空の色や風の感じ方などでふと寂しさを感じて厭世的になる場合が。自分でも不思議な寂しさかも

魚座・・・同情心にあふれているので、誰かの悲しい状況を一緒になって自分のことのように感じてしまうため淋しさを共有しやすい。共感できない状況が一番淋しいと感じるかも

と、あくまでも読み物として流して下さいね~

nice!(3)  コメント(2) 

達観と諦観 [ひとりごと]

何方も好きな言葉ではありますが、前者は割と良いイメージがあるのに対して、後者には「諦める」という文字があるせいか、後ろ向きなイメージでとらえられることが結構あるようです。

でも、「あきらめる」という言葉は仏教用語で、かつては
「あきらかに・みる」という意味合いだったようです。それが次第に「ギブアップ」という感じの「断念」の意味でのあきらめる、というイメージになったため、後ろ向きな印象になってしまったと思われます。

ところが、「諦観」というのは実は確かにあきらめるのですが、物事の本質をきちんと見極めたうえであきらめるという意味なので実は前向きな諦め方なのです。

今場所にその進退を賭けて臨む横綱白鵬関ですが、ずっと逃げ腰だったイメージが最近はあります。
そのまま引退したら本当に「諦めた」という後ろ向きな印象しか残らないですが、
もしきちんと取り組みを終えたうえで、自らの限界を知り、諦めて引退するならそれは「諦観」ですので余計に横綱としての品格等が求められるのだと思います。
少し前に引退した鶴竜関は、自らの引き際をきちんと考えて「諦観」して引退したと思います。

一方の「達観」はこんな境地になれたらなぁと常々思っていることですがこれもまた仏教用語のようで、「物事の本質を見極め、動じずにいること」ですから、「諦観」したうえで「達観」できたらもう、立派な精神力を持ち合わせているといえるでしょう。

この、「物事の本質を見極める」ということがどうも、人間は邪念や自我が強いと難しくなります。
じゃあ、本質って何なのかと思うとまた、これがなかなかわかるようでわかりません。

ネガティヴな発言をすると私などは仕事柄どうしても否定されがちなのですが(特に家族にはさんざん言われます)ネガティヴでも後ろ向きであるとは限らないのです。
それがこの「諦観」だと思います。
いくら考えても仕方のない事もあります。そういった場合、そこに本質はないと思って一旦諦めるというのは決して後ろ向きな解決策ではないと思います。

一旦停止することで新たに見えてくることもあるはずなので・・・。

どうしても無理だと思ったらその時「達観」して諦めることができるはずです。

似ているようでまるで違うニュアンスのこの二つの言葉ですが、年齢を重ねてくるとこういったことが問われる場面は結構あります。

何もしないでただ諦めてしまったら後悔しますが、できることをとりあえずやってみたうえで、諦めるなら、それは「あきらかに・みる」だと思います。

どうしてもあきらめなければならないことというのは誰にもあると思いますが、やりつくして諦めたなら後悔はないはずなので、できることがある限りは探し続けるべきなんだろうなと、私自身の経験上、切に思いました。

ネガティヴでも前向きなら、全然かまわないと思います。
やたらポジティヴでもすぐにあきらめてしまう人もいますし、反省や過去を振り返ることをしなければ、いくら前向きであっても進歩はないと思います。

いつか達観できるようにはなりたいものですが、そのためにはいくつものことを諦観していく必要があるのかもしれません。

nice!(2)  コメント(0)