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同調と共感の違い [ひとりごと]

今月はちょうどコロナでもう、寝たり起きたりだった時期に甲子園での高校野球が開催されていたのもあり、否が応でもテレビを見ながら過ごす日々でした。なので結構野球を観ましたが、正直、慶応高校の選手や一生懸命頑張ってきた人には何の文句もありません。でも、決勝戦はあまりの「同調行動」に嫌気がさし、見ませんでした。何となく世間の風潮から、慶応が「持っているな」という雰囲気だったし、世間が「慶応を勝たせなければ」みたいになっていたし、まあ、優勝するのではないかと予想はできました。

ただ、あの応援の異様な雰囲気はちょっと高校野球というシチュエーションにはあまりにも「おとなげない」ように感じた人も多いと思います。
沖縄の高校を応援したり、関西(見に行きやすい)の学校に対しては応援団も多いしある意味歓声が大きくなりがちであるのはまあわかるのですが、昨年は「初めて優勝旗が東北に」ということも相まって、東北は震災被害も多かったし、そこでも同調行動はある程度あったのでしょうけど、目に余るというほどではありませんでした。
なので、その東北代表の仙台育英高校が同じように決勝戦に進出したにもかかわらず今年は相手が慶応だったために考えられないぐらいのアウエー感を味わうことになってしまい、本当に気の毒で仕方なかったです。
昨年の仙台育英に対しては同調というよりむしろ共感的にみんなが応援をしていたように思いますのでこれは見ていて気持ちの良いものでした。私自身も特別東北に思い入れはありませんが、仙台育英の須江監督の人柄や、インタビューでの名言が心を打ったので、何となく応援したいチームになったことは言うまでもないのですが、これは完全に「共感」ですので、仙台育英というチームに対して好感を抱いたからにほかなりません。

でも、今年の決勝戦、昨年仙台育英を応援した人も、どこか「慶応を応援しなきゃいけない」みたいな雰囲気が醸し出されていたのもあり、(選手にイケメンが多いとか、さわやかで明るいチームだったのもあります)あっさり乗り換えてしまった人もいたように思います。

問題なのは応援団は大の大人ばかりなのに、同調行動ばかりだったということです。
仙台育英の選手が三振したりアウトになったら大声で嬉しそうに歓声をあげるなど、非常識です。
でも、現地にいたら多分「みんながやっているから」ということで一緒になって拍手したりした人もかなりいるでしょう。
この、「みんながやっているから」という、自分の意思とは無関係な圧力に負けてしまう「同調」が問題なわけです。

プロ野球でも今年ぶっちぎりで強い阪神タイガースの応援はちょっと目に余るものがあります。阪神自体に何の恨みもありませんが、応援スタイルが好きではないので、私は関西人ですが正直そこに同調する気はあまりないので、もし甲子園で阪神対巨人の試合を観たら怖いだろうなと思います。
ただ、プロ野球は興行ですし、お金をもらってやっているので応援に差があってもある程度仕方はないと思います。でも、高校野球は須江監督の言うように「青春」の一こまです。
それが、今年の決勝戦には昨年も出場した子が数名いたと思いますが、まるで手のひらを返されたような応援を二年続けて受けたことで、下手するとトラウマになってしまう子もいたのではないかというぐらいのひどい応援だったと思います。

応援団の中に一人でも「せめて相手チームが攻撃しているときは静かに見守ろう」「相手がアウトになったからと言って喜ぶのは非常識だ」という人がいたらと思いますが、個人的にはそう思っていても集団心理の怖いところがそこで、いわゆる「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」みたいな風潮が生まれてしまうわけです。

あと、問題はマスコミで、確かに有名人やマスコミ関係者には裕福な育ちの慶応出身者が多いのですが、だからといって決勝戦の前にどこのチャンネルをひねっても「慶応」一色の報道があったことも、この応援のすごさにつながってしまった気もします。

簡単に言うと共感は、思いやりのある行動につながりますが、同調は単に「御多分に漏れず」で、多くの人がやっていることを無意識にまねてしまっているだけですから、あとで冷静に考えた場合疑問に感じた人も実際は多いはずです。

高校野球が好きだったのに、なんだか哀しくなりました。

でも、やはり須江監督は人格者です。このことに対して批判めいたことは一切言わずに、彼に育てられた選手の子たちも本当は力を出し切れず悔しかったであろうに、優勝した慶応に対して拍手を全員で送ったというのは本当に感動しました。

慶応の子や監督さんを見ているとあの、青山学院の駅伝の原監督とその教え子たちに通じるものを感じるので、爽やかというのもありますし、屈託なく育ってきたある意味恵まれた環境というのも似ているとは思います。でも、例の応援は、彼らの爽やかさすら否定したくなるようなものだったので、彼らもある意味被害者かもしれません。

この「同調」は日本人の気質だと思いますが、どうしても人と同じことをしていると安心するのか、人に嫌われたくないがために多くの人がやっていることをついやってしまうという感じでしょうけど、コロナ禍のマスク信仰みたいなのもありました。
いろんな事情でマスクができない体質の人だっているのに、大勢の中にいたら少数派になってしまうので、まるで犯罪者のように見られてしまったりした人もいたようです。

今では人混みや「密」の中でもマスクをしている人はほとんどいなくなりましたがそれもまた恐ろしいことです。
私自身、まだマスクは密の時はしていますがそれでもコロナに感染したので、確かにマスクそのものの効果はあまり絶対的なものではないかもしれませんが、こういった判断の基準は自分が感染することよりも、誰かに感染させないようにするという思いやりが重要になってくる気がします。

仕事の時はなるべく換気をし、マスクをするようにはしているのですが、暑い中しゃべり続けるとどうしても息苦しくなりますし、一定時間インターバルを求めるかもですが(水を飲んだり)やはり誰かを思いやる心が根底にあれば、同調行動に惑わされなくなると思うのです。

今年の高校野球は、私的にはやはり仙台育英というチームのすばらしさが光ったという感想です。
大阪代表の履正社高校と戦ったときにも、仙台のほうを応援してしまったぐらいです。

他にも、高校生らしい学校がいくつもあり、思い出深い大会にはなったなという感じです。
慶応高校の皆さんは、107年ぶりの優勝ということもあり、さぞ感慨深かったと思うし、勢いがありましたし投手力があまり点を取られないというのはすごかったですね。

それにしても、集団になると人というのは常識を失う行動をしてしまうんだなと思うと怖かったです。

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