自己肯定感と自信 [ひとりごと]
自己肯定感と自信というのは似ているようで異なると思います。
自信というのは私もここにも書いたことがありますが「自分を信じる」つまり、自分自身の才能や何かしらの成果に対して自分で自分を認めることのできるものでいわば条件付きの肯定的な思いですが、
自己肯定感というのは自分自身がどんな状態であろうと、OKだと思える、自分のありのままを肯定的に認めることのできることです。
なので、自信がある(ように見える)人でも、自己肯定感のない人がいますし、逆に自己肯定感はあっても自信はないという人もいます。
後者の場合は、自信がないと言っても卑屈にはなっていないのでさほど問題はないのですが、前者の場合は何かに頑張るという自分以外は認められないため、本当の意味での自己肯定感にはつながらないのです。
ただ、自信をどんどんいろんな方面でつけることにより、自己肯定感はできてくるので、やはり自信をつけることはとても大事です。
わたし自身も、占いの面での自信はある程度はありますが、自己肯定感は実はさほど高くありません。
ズバリ、占い以外のことに対してはまるで自信がないとも言えます。
もちろん、もう人生も折り返し地点を過ぎていますので、自己否定に打ちひしがれているというのではないのですが、自己肯定というよりももはや開き直っているだけのように思います。(苦笑)
「自信」というものもまた曲者で、人の評価によってしか生まれないという場合は本物ではありません。常に誰かに褒められようとして頑張るため、自己肯定感にはつながりにくいからです。
「自信がある」とやたら豪語したり、自信満々にふるまったりする場合は、自己肯定感からくるものではないので、本当に自信のある人というのは才能をひけらかすこともないですし、極端にポジティヴの押し売りをしたりもしないし、常に自然体です。
そういった本物の自信を示すのが2ハウスですが、2ハウスはお金だけではなく親を示すこともあります。
親も一種の「所有物」とみなされるので、幼少時に親から自己肯定感を与えられた子は、
「そのままでいいんだ」という意識を持てるのでこれこそ本当の自信につながりますから、たとえ失敗したり何かに躓いても自分そのものがダメなのではないと思えるのです。
でも、本当の自信がない人の場合、誰かに否定されたり、一つの失敗がもう、自己否定につながってしまいます。
私も若いころは本当にそうでした。
ないものねだりをしたり、足りないものに目を向けているうちはどうしても自己肯定感は生まれませんが、ある程度の年齢になればもう、「これが私なんだから仕方ないな」と思えるのです。
それは決して自信があるというのではなく、自分の欠点や足りないものも含めて自分というキャラクターだからそれを否定したところでどうにもならないのだから、それを認めてしまえば楽になるからです。
欠点のない人なんてたぶんいないでしょうし、もし仮に自分には欠点などない!と言い切る人がいたらそれこそ自己肯定ではないと思います。
プライドとかが邪魔をして無理に自信を持っているようにふるまうのもやはり根底に自己肯定感がないからでしょう。
お客さんでもよく「自信がない」という人がいるのですが、その場合でも、自己肯定感がある人の場合は、自分が大したことないなと感じているだけなので、協調性もあって柔軟性もありますし、自信の持てるような場面を経験すればどんどん成長できます。
ただ、自己肯定感がないから自信がないという場合が問題であって、非凡なものを持っているのに、自己肯定感がない場合にはいくら褒められても自信につながらないのです。
自信というのは何かをやる前からあるわけではないのですから、自己肯定感さえあればたとえうまくいかなくたっていい、次はきっとうまくいくし、何度やってもダメだったら向いてないのだから別の方法を探せばいいという感じになります。
その最たる例が恋愛で、自信があってみんな恋愛をしているわけではありません。人が人を好きになるのは本能ですから、誰しも告白するときなど、初めから自信満々な人はほんの一握りで、自己肯定感のある人の場合、ダメだったとしても次がある、と考えられます。
スポーツなどでもよく「自信がありますか?」と問われてたいていの人は「あります」と言いますが本当にあるのではなく、自分を鼓舞することで自己肯定に持って行こうとしているのです。
なので大切なのは確固たる自信よりも、自己肯定感のほうなんじゃないかと思います。決して自己満足ではなく、自己肯定感というのはあるがままを受け入れることなのですから・・・。
だから、謙虚でも自己肯定感のある人というのはとても魅力的だと思います。
そういう意味では育った環境というのはやはりとても大事なんだろうなと思います。
自信というのは私もここにも書いたことがありますが「自分を信じる」つまり、自分自身の才能や何かしらの成果に対して自分で自分を認めることのできるものでいわば条件付きの肯定的な思いですが、
自己肯定感というのは自分自身がどんな状態であろうと、OKだと思える、自分のありのままを肯定的に認めることのできることです。
なので、自信がある(ように見える)人でも、自己肯定感のない人がいますし、逆に自己肯定感はあっても自信はないという人もいます。
後者の場合は、自信がないと言っても卑屈にはなっていないのでさほど問題はないのですが、前者の場合は何かに頑張るという自分以外は認められないため、本当の意味での自己肯定感にはつながらないのです。
ただ、自信をどんどんいろんな方面でつけることにより、自己肯定感はできてくるので、やはり自信をつけることはとても大事です。
わたし自身も、占いの面での自信はある程度はありますが、自己肯定感は実はさほど高くありません。
ズバリ、占い以外のことに対してはまるで自信がないとも言えます。
もちろん、もう人生も折り返し地点を過ぎていますので、自己否定に打ちひしがれているというのではないのですが、自己肯定というよりももはや開き直っているだけのように思います。(苦笑)
「自信」というものもまた曲者で、人の評価によってしか生まれないという場合は本物ではありません。常に誰かに褒められようとして頑張るため、自己肯定感にはつながりにくいからです。
「自信がある」とやたら豪語したり、自信満々にふるまったりする場合は、自己肯定感からくるものではないので、本当に自信のある人というのは才能をひけらかすこともないですし、極端にポジティヴの押し売りをしたりもしないし、常に自然体です。
そういった本物の自信を示すのが2ハウスですが、2ハウスはお金だけではなく親を示すこともあります。
親も一種の「所有物」とみなされるので、幼少時に親から自己肯定感を与えられた子は、
「そのままでいいんだ」という意識を持てるのでこれこそ本当の自信につながりますから、たとえ失敗したり何かに躓いても自分そのものがダメなのではないと思えるのです。
でも、本当の自信がない人の場合、誰かに否定されたり、一つの失敗がもう、自己否定につながってしまいます。
私も若いころは本当にそうでした。
ないものねだりをしたり、足りないものに目を向けているうちはどうしても自己肯定感は生まれませんが、ある程度の年齢になればもう、「これが私なんだから仕方ないな」と思えるのです。
それは決して自信があるというのではなく、自分の欠点や足りないものも含めて自分というキャラクターだからそれを否定したところでどうにもならないのだから、それを認めてしまえば楽になるからです。
欠点のない人なんてたぶんいないでしょうし、もし仮に自分には欠点などない!と言い切る人がいたらそれこそ自己肯定ではないと思います。
プライドとかが邪魔をして無理に自信を持っているようにふるまうのもやはり根底に自己肯定感がないからでしょう。
お客さんでもよく「自信がない」という人がいるのですが、その場合でも、自己肯定感がある人の場合は、自分が大したことないなと感じているだけなので、協調性もあって柔軟性もありますし、自信の持てるような場面を経験すればどんどん成長できます。
ただ、自己肯定感がないから自信がないという場合が問題であって、非凡なものを持っているのに、自己肯定感がない場合にはいくら褒められても自信につながらないのです。
自信というのは何かをやる前からあるわけではないのですから、自己肯定感さえあればたとえうまくいかなくたっていい、次はきっとうまくいくし、何度やってもダメだったら向いてないのだから別の方法を探せばいいという感じになります。
その最たる例が恋愛で、自信があってみんな恋愛をしているわけではありません。人が人を好きになるのは本能ですから、誰しも告白するときなど、初めから自信満々な人はほんの一握りで、自己肯定感のある人の場合、ダメだったとしても次がある、と考えられます。
スポーツなどでもよく「自信がありますか?」と問われてたいていの人は「あります」と言いますが本当にあるのではなく、自分を鼓舞することで自己肯定に持って行こうとしているのです。
なので大切なのは確固たる自信よりも、自己肯定感のほうなんじゃないかと思います。決して自己満足ではなく、自己肯定感というのはあるがままを受け入れることなのですから・・・。
だから、謙虚でも自己肯定感のある人というのはとても魅力的だと思います。
そういう意味では育った環境というのはやはりとても大事なんだろうなと思います。
2021-01-20 23:21
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コメント(4)
sakoさんが、ずいぶん気にされているようなので私の素性を明かしますが、イニシャルはS.Oで下の本名は彩華です。直近で昨年の9月に仕事のことで鑑定して頂きました。
私は2ハウスに魚座の土星が入っていてグランドクロスの一角となっていて、まさに自己肯定感に欠けた人間です。あまり親にほめられたことがなくて、特に母には厳しくされました。そのせいか挫折と失敗の繰り返しの人生でした。それでも占星術と出会って救われつつあります。
by 彩矢佳 (2021-01-21 09:40)
彩矢佳さん、ようやく納得できました。もっと昔に鑑定した方かとばかり思っていました。彩華さんはご本名だったのですね。
割とハードアスペクトを跳ね返してこられたのかなという感じを受けますね。でも、占星学の知識はすごくお持ちの方ですし、私もさらに勉強しなければと思います。
自分のことを客観視できるし、占星学には私も救われています。
自己肯定感はやはり親から与えられますね。私も今はもはや年齢的にもこれが自分だから仕方ないやと思っていますが若かりし頃はずいぶん自己否定が強かったのです。自信のある分野があったとしても、だからといって自己肯定にはなかなかつながらないから不思議ですね。
by selene (2021-01-22 09:43)
沙湖先生こんにちは。久しぶりにコメントします。
遅くなりましたが今年もよろしくお願いします!
自己肯定感…ある、ないと一括りには出来ないですね。
コレにはあるけどソレには全然無い、みたいな感じで(つまり本当の意味では持ってない?)
恋愛なんてもう肯定否定の問題じゃなくそれ以前の更地レベルですし。
2ハウスには天秤冥王星と蠍リリスと蠍月、蠍ジュノーが入っています。
両親からは愛を受けたと思いますが、過保護すぎるというのは
かえって自己肯定感は育たないと思いますね…。
まあそれこそ「ありのままの私」でやっていくしかないんですが
自分の実力不足というは今すごく身にしみて感じています。
一つの失敗を引きずる悪癖もいいかげん飽きたいです(苦笑)。
人を見て思うのは(自分もそうなんですが)
自己肯定感が低い人は、自己査定はめちゃくちゃ高くて、
「本来の自分はもっとできるスバラシイ人間のはず」と
実力より高いハードルを己に課して
そして勝手に落ち込んでいるように見えます。
そういう人は娯楽的な趣味をしていても
わあ楽しそう!って雰囲気ではないですね。
修行のような雰囲気…でもそれが悪いわけではないですし(それで花開く人もいる)。
私はそういう人も好きだったりするので良いんですが。
でも自己肯定感が低すぎて
自分が大嫌いだとかばっかり考えて、ある意味ナルシストになってる人は
も少し広く見た方が…と思いますね。
自分もそういうところがあるだけに。
自己肯定感のある人は、己がどうこうよりも
周囲や他人のことに目を配って気づかっていて
その自然な感じがいいなあと思います。
こだわりを捨てれば楽になれる、などとはよく聞きますが
太陽水瓶月蠍がこだわりを捨てるのは難しいです。
いつもとりとめのない長文すみません。
文章をスマートにまとめるのも今年の課題です(汗)。
by ASSAM (2021-01-23 17:33)
ASSAMさん、めちゃくちゃ遅いレスになってしまってすみません!!
ここを見たのが久しぶりでしたので・・・。
介護に伴う家事負担が増えていて、(母の介護度が要介護3に上がってしまったので)こんな時間にならないと自由がなくて・・・。
しかも、睡魔がすぐに訪れるため、夜遅くまで起きていられなくなってしまって・・・。
あなたはまだお若いので、自己肯定感に関してはなかなか肯定できる部分とそうでない部分があって当然だと思います。
2ハウスのカスプ主星は金星でしょうから、プラスの方向に持って行くことは可能だと思います。ただ、かなりの惑星や感受点が入っていますから、複雑ですよね・・・。
不動宮のライツはなかなか確かにこだわりを捨てるのは難しいと思いますがこだわりは持っていても構わないと思いますよ。
まあ、柔軟な対応ができたり、受け入れの幅が広い人は楽ではあるのですが今日来た方は、自己肯定感はあるものの柔軟宮が多すぎるためカオス状態になってしまい、確固たる決断ができないという意味で自信のない人でしたので、良しあしですね。
ただ、自己肯定感がある人のほうが自己卑下になることは少ないかなと思います。
by selene (2021-01-28 22:18)