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我慢と辛抱の違い [ひとりごと]

私は職業柄、悩みがあっても自分で解決できるのではないのかと思われてしまうのですが、自分のことは自分では正直わからないことも多いのです。
主観的に観てしまいますから、私自身も客観的に誰かの意見を求める場合があります。

もともと私は左脳人間だったので、風の星がないくせに理詰めで物事を考えては負のスパイラルに陥ることが多かったのです。いわゆる「考えすぎ」というやつです。
そういう自分を変えたくて、占いを生業にしてもう20年以上になるせいか、今では柔軟性がかなり出てきたと思いますのでその部分ではよかったのですが、ややいい加減になりすぎるところもあり、時として自分がこれでいいのだろうかと思うこともあります。

以前、占星学の記事で怒りのコントロールは火星や冥王星で見るというようなことを書いたかと思いますが、(HPの「占星学の玉手箱」から探せると思います)年齢のせいか、今まで簡単にできていたことに対して妙に時間がかかったり、何と言っても記憶力がかなり低下してきていて、「こんなこともわからないのか」と、自分で自分に対して苛立ちを覚えることが多くなって、握力や筋力もなくなりつつあるので、モノを落としたり、変なところでぶつかったり何かにつけ「どんくさく」なっています。
なので、そういう「無能」な自分にイライラして止まらないことがあるのでこういうのを抑えなきゃいけないなと
思っていたところ、常連のお客様で「アンガーマネジメント」という「アンガー」つまり「怒り」の感情を「マネジメント」(この場合は「後悔しないこと」という意訳をしています)後悔しないこととして、怒りを必ずしも悪いものとしてとらえるのではなく、本当に必要な怒りは出してもいいのだということを学ぶ講座で資格を取った方がいて、心理学はいろんな局面で勉強したい方なので、入門講座を受けてみました。

まず、怒りの感情が湧き起ったときその衝動をとりあえず6秒コントロールすることだと学びました。
6秒っていうのは意外と長いもので、深呼吸もできます。でも、怒りに駆られているときに6秒数えるというのは割と至難の業です。でも、「ちょっとまて」は6文字ですし、これを唱えながら待つことはできるかもしれないなと思ったりしました。
あとは、なるべく空を見上げて下を向かないようにすることで6秒数えてもいいかもしれません。
胸を張ることになるので不思議とマイナス感情が湧き起りにくいからです。

ただ、単に怒りを我慢して6秒待つ、となると実はコントロール不能なのです。
でも、怒りを辛抱することはできるのです。

我慢というのは実は人や外部からさせられることつまり外側からの感情なので、嫌なことなのです。
ところが、辛抱というのは、自分ですることなので、主導権はあくまでも自分なのです。そして辛抱することで自分自身を責める必要がなくなるのです。
この、我慢と辛抱の違いを問われて答えられませんでした。
確かに「我慢大会」というのが真夏や真冬にありますが「辛抱大会」とは言いませんね。

子供が泣いていたらつい「我慢しなさい」と言います。「辛抱しなさい」と冷静にいう親はあまりいないでしょう。
だからなのか、子供は「我慢しなさい」と言われて余計泣き出す場合が多いし、無理やり我慢させられているという気持ちで歯を食いしばっている場合もあるでしょう。
これが大人になってくると理性が働くので、人前では泣かないというように「辛抱」することができるようになるわけです。

あと、怒りの正体は、自分で勝手に決めた「〇〇であるべき」「〇〇すべき」というようなこだわりであって、怒りに対して勝手に意味づけをしているのです。この「~べき」というのは自分で変えられるし、手放すことができる場合が本当は多いのです。
どうしても怒り=マイナス感情だと思いがちですが、これもまた、怒りは抑えるべきだ、というように意味づけをしているからだと思います。
たとえば自分の子供が目の前で殴られようとしているのを見ていて感じる怒りは抑えるべきじゃないはずです。
要するに、必要な怒りは出すことで防衛感情になっていますので、大切なことでもあります。
こういう怒りまで抑えてしまったらそれこそ人は行動できなくなってしまいます。

つまりは、人は変えられないけれど、人の行動は変えられるということが前提なので、怒り方というのも大事になってくるわけです。
怒りは決してなくならない感情ですが、感情的にならずとも怒りは伝えられるというわけです。

もちろん、ある程度鍛錬は必要でしょうけど・・・。

入門編だけでもかなり深い内容でした。

怒りを辛抱できたら自分をほめてあげればいいんだなと思いました。

そして怒りというのは第二次感情であって、表面に出ている感情ですがその原因には第一次感情としての
悲しみや憎しみ、ねたみ、いろんな感情が実はあるので、この、9割を占める一次感情に気づくことこそが怒りの本質を知る(理解する)ことにつながります。

常に不機嫌でイライラしている人も実は奥底に寂しさとか深い悲しみがあるからかもしれません。
私自身のイライラも、現在の生活がどうしても100%自由とはいかず、嫌いな家事の負担が増える一方だからという現実に対する不満から来ているように思います。
でも、これは現実だから取り除けないですし、別に私自身が自分を責める必要の全くないものです。
家事をするのは当たり前だという、主人などが言うところのそれこそ「主婦は家事をするべき」という概念に対して怒りを感じますが、別に主婦が家事をサボってもいいのですし、サボった自分を責める必要もないのです。私はがんばっているんだ、と自分自身を認めてやればいいだけなのです。

人の悩みも、奥にある感情に気づくことで解決の糸口がつかめたりします。
その意味で「怒り」というともすれば「良くないもの」だと決めつけられがちな感情に焦点を当てるのはとても
意味のあることだなと思いました。

叱り方の入門講座もあるようですからそちらも受講したいなと思いました。

イライラしたら自分が落ち着く文言を唱えるといいそうです。小田さんの曲に出てくる
「そのままでいいんだ」「そのままのきみが好き」というまさにこれを唱えたいなと思いました。

そういえばイラッとくるCMで十六茶のCMの中でガッキー(は好きなんですが)がやたらと「べし」という文言を使っているのがどうも耳につくなぁと思っていました。それこそ「べし」なので決めつけている文言だからなんだなと思いました。
占いでも、決めつけの言いかたをするのはあまりよくありません。もちろんプラスの事象は励ましに断定口調を使ってもいいですが、なるべく柔軟な文言を使うことで相手の心をほぐすことが大事だろうと思います。

今は特にあまりズバッと言われることを好まない傾向があります。
時代に即したセッションの仕方も学ぶ必要があるし、時に心理学のメソッドを学ぶことはとても大切なことだと痛感しました。



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