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恋愛に不必要なプライド [ひとりごと]

コロナ禍が少し緩和されつつあるせいか、やはり人との直接のつながりを求めようとする動きが強まっているようです。
最近は直接鑑定に来てくださる方も増え、水星逆行中だからか、何年か前に鑑定した方からの依頼も多いです。やはり人とは会って話さなきゃダメだなと思います。

その最たる例が恋愛だと思いますが、昨今、出会いの形も様々に変化していて、ネットでのいわゆるマッチングなどが普通に認められています。
私みたいな老齢の人間は、ちょっとそういった出会いは怖いのですが、必ずしも悪い出会いばかりではないし、実際コロナ禍で会えないのだから、ネットを頼るしかないでしょうし、この時期ならではの恋愛の求め方だとは思います。

恋愛相談を受けていて思うのですが、どうも、恋愛においてはある程度のプライドはもちろん必要ですし、淋しいから誰でもいいというような考え方をしていると恋愛依存症のようになってしまいますし、実際弱っているときには普段なら好きにならないような人が、白馬に乗った王子様のように輝いて見えてしまうというように、鑑識眼も狂いがちです。
ただ、プライドが高すぎるとこれまた、なかなか良い出会いには結びつかないということも多いのです。
プライドが高いというと、獅子座が一般的にはよく言われていますが、獅子座のプライドは長所でもあり、自分自身に信念を持っていてそれを曲げないという感じのプライドイコール誇りのようなものだと思います。なので獅子座の人は恋愛において、良いプライドを持っていて相手に嫌われたらどうしようというような、不必要な思い入れはなく、自分が相手のことを好きであるという能動性に対してのプライドを持っているため、相手に必要以上に好かれようと媚びたりもしません。

ところが、相手に愛されたいと願うばかりで能動的に働きかけることをカッコ悪いと思うようなプライドは不必要です。
これはプライドと言っても、自尊感情を傷つけられることに対して必要以上に反応してしまうもので、例えば相手からLINEなどの返事がなかったら別に自分が連絡したければすればいいのに、「自分から連絡してばかりだと重たいと思われないだろうか」というように考えてしまって連絡できずに悶々としているうちに自然消滅してしまうようなケースがあります。

要するに自分が相手に対してどうしたいか>相手がどう思っているか

という価値判断で動ける人は、余計なプライドは持ち合わせていないと思います。
もちろん、強引すぎるアプローチは相手に引かれてしまいますが、適度なアプローチは恋愛においてはやはりインパクトがあります。

恋愛相談では、相手の気持ちを知りたいという人が圧倒的に多いのですが、相手の気持ちを知ったうえで自分が動くというのはやはり自分が傷つきたくないというプライドが邪魔をしているように思います。

もちろん、経験則によるものなので、絶対にそうだとは言えませんが、射手座にライツを持つ人が意外とこのプライドが邪魔をするケースがあります。我が次女がそうなので実例としてわかりやすいのですが、自分から追いかけるのが好きなくせに、相手からのアプローチがないと動かないのです。そして悶々と悩む自分に腹が立つので余計に動かないという悪循環です。
射手座は文字通り弓矢を射るため、能動性はあるのですが、柔軟宮だからか、コントロールがうまいかというと割と適当なため、調子の良い時はまっすぐに弓矢は飛びますが、気乗りしない時は全く飛びません。火の星座は概してプライドそのものは高いですが、射手座のそれはややわかりづらいです。自分がその人を好きだという気持ちが相手にわかるということが嫌だというような変な屈折をしていたりします。なので案外本命に対してはツンデレで、どうでもいい人にはフランクなのでどうでもいい人から言い寄られやすいでしょう。この傾向はどちらかというと太陽よりも月の射手座の人に見られるかもしれません。

あと、かっこ悪いことが恥ずかしいと思う天秤座のプライドもいささか恋愛では厄介です。
恋愛など本能でするものだから、確固たる理由などないのに、自分の言動を俯瞰して観てしまうもう一人の自分がジャッジしてしまいます。理屈をこねているうちに時間が経過してしまうというパターンです。

逆に本能に素直に動けるのが意外と蠍座や牡牛座です。恋愛においては変なプライドは意外となく、好きだという思いがストレートに伝わりやすい星だと思います。
もちろん、月や金星火星などの星も絡むので、それらに射手座や天秤座があった場合はもう少し複雑化します。

水の星座はあまり恋愛にプライドが邪魔をしません。気づいたら動いているという感じですから、かっこ悪いとかあまりそういうことは気にしないと思います。なので、愛されやすい場合が多いでしょう。

自分自身の仕事や考え方などにプライドを持つことは大事だし、自分を必要以上に下げることはないのですが、協調することと迎合することは違います。
好かれようと思って行動すると不自然になるため、たいていうまくはいかないものです。

ただ、本能で動いて、ダメだった場合に縋り付くのは、プライドのない行動ですから、潔さや自分を顧みるということもまた、本当の意味でのプライドで、自分が好きになった相手に振られたら相手のことを貶めて「あんな奴、なんで好きになったんだろう」というような思い方をするのは不要なプライドだと思います。
こういう思い方をしていると次の恋愛に対してもそのプライド(自分は間違っていないという)は邪魔をします。
恋愛は必ず相手のいることなので、相手にも言い分はあります。
ダメだった場合は縁がなかったか、相手の良さがわからなかったか、自分の良さが相手に伝わらなかったというような場合が多いし、何かが合わなかったのですから、好きになったこと自体を恥じたり後悔したりする必要はないと思います。
過去に痛い思いを経験している人のほうが良い恋愛に出会えることが多いのですから・・・。

私みたいに、恋愛において痛い思いもしていない代わりに対して熱い思いもしていないようなのは、恋愛面では成長していないなと思います。
アセンダント射手座なのと、月の乙女座のスクエアのせいか、やはり嫌われたらどうしよう~と思って行動しなかったまま年を重ねてもはや恋愛などを語れない年寄りになってしまいましたが、これから恋愛したい人はぜひともうまくいきたい、という結果を求めるよりも、その人のことが好きなんだというシンプルな思いを大事にしてほしいなとは思います。
「やりたいと思ったことはとにかくやってみよう」というように、やはり行動することが大事だとは思います。

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パラリンピックに思うこと [ひとりごと]

今回は、家にいる時間が多かったのもありましたが、いつもに比べて高校野球とパラリンピックをかなりしっかり見たように思います。
高校野球は雨でかなり順延して、しかもノーゲームになる試合もあったり、コールドになった試合もあるなどいろいろトラブルもあった中、智弁対決になるのではないかと予想していたんですが決勝戦は画面を見ただけだとどっちがどっちかわからないような試合でした。

パラリンピックもいつもここまではテレビ放映されていなかったと思いますが今回は国内ということもあってかなり毎日詳しく放送されていて、オリンピックよりも感動しました。
開会式、閉会式もコンセプトがはっきりしていてよかったし、(開会式でいきなりはるな愛さんのアップにはびっくりしました。最初よく似た人だなぁと思っていたらご本人でした。閉会式ではミライトワとソメイティが出てきたので嬉しかったです)何より、いろんな競技を知ることができて、
特にゴールボールとボッチャについては全く知らない競技だったので、すごい!の一言でした。
ボッチャの杉村さんが素晴らしかったのでもう、尊敬に値しますね。
あと、競泳はもう、素晴らしかったです。オリンピックのほうは大橋さんと本多さんしかメダルはなかったのに、パラはもう、毎日メダルラッシュでしたし、何より素晴らしいと思ったのが、14歳の山田美幸さんでした。14歳なのに何という受け答え・・・達観したような感じで、素晴らしい言葉遣いに、大人としてこちらが見習わなければと思いました。

何かしらのハンディを抱え、我々の知らないところでどれだけの涙を流し、辛い思いをしたかもしれません。でも、それを乗り越えた姿はとてもりりしく、しかも皆さん明るかったです。
インタビューでの皆さんの言葉には、こちらが感動することが多く、私など健常者のくせに毎日不平不満だらけで、何をやっているんだろうと思いました。

仕事柄選手の生年月日をやはり見るのですが、乙女座と魚座が非常にメダリストさんに多かったのです。
乙女座はもともとメダルを取るスリートに多いのですが、やはりハンディを達観して受け入れ、それをいかに生かしつつ自分のものにするかということができるのは、柔軟宮に太陽がある人なのかなと思いました。
もちろんそれ以外の星の方もたくさんいらっしゃいますが、柔軟宮に個人天体があったほうがやはり物事をそのまま受容するということにはたけている気がします。

私自身、柔軟宮に個人天体は月と水星があるのですが、この二つがスクエアなので葛藤することが多く、どちらかに偏ってしまうことが多いためか、決断力のなさにつながっているだけのようですが、頑固さはあまりないと思うし、意思表示そのものははっきりしていますが、違う考え方や異なった意見にも、それほど抵抗はなくなったのは年齢を重ねたせいもありますが、やはりこの占星学を生業にして長いということが大きいかなと思います。
家族とか身近な人間関係にはどうしても思いが強い分、してはいけない「期待」というものが入ってしまうのですが、柔軟さを身に着けた方が何事にもやはり気持ちが楽になるし、周りに対しても楽だと思います。

パラの選手の方はすぐにはもちろん達観できなかったとは思います。でも、本当に皆さん明るくて輝いていました。
障害というものに対して、こんなに観方が変わったのはやはりパラのおかげだと思います。
生きていればなんだってできるんだなということを改めて思いました。

ちなみにボッチャもどきのことを母親が通うデイサービスでもやっているそうで、こういった競技は確かに高齢者にも良いなと思います。
コロナ禍で本当に世界中が大変な中でも、一筋の希望の光が見えたような、そんなパラリンピックだったので、賛否あったとは思いますが、私自身は、やってよかったのではないかと思います。

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ご近所トラブル [ひとりごと]

ご近所を示すハウスは、ホロスコープでは3ハウスですが、意外とこの、ご近所トラブル、多いですし侮れないんですよね。
ご近所だけに普段から接点があるから、無視して通れないし、じゃあ言いたいことを言えばいいかというと角が立つので本当に難しい問題だと思います。

会社とか学校とか、必然的に行かなければならない場所というのは、自分の性格に合わせて用意されるわけではないため、選ぶことができませんから、たまたまそこでの人間関係が自分に合っていたら平穏無事ですが、そうでない場合だって多々あるわけで、私も、そういう、自分で選べない人間関係には非常に悩まされる方です。(結婚相手は選べてもその親戚までは選べないという意味で3ハウスは親戚をも示しますね)

風星座にライツやアセンダントのある人は比較的そつなくこなせるようですが(3ハウスが双子座のナチュラルハウスでもあるので)、私のように風星座に惑星はひとつもなければ、風星座のナチュラルハウスである関係宮にも一つも惑星がない場合はもう、どうしても自分自身の好き嫌いが結構出てしまいますから、それを表向きだけうまくやっていくというのは至難の業です。

正直、今の家にはかれこれ12年いますが、最初のころはご近所さんも皆さんいい方ばかりだったのです。でも、年月を重ねていくごとに、住民の質も正直低下して、いわゆる文教地区で、住環境の良い地域であるのにもかかわらず、一般的な常識に欠けると思われるような入居者が増えてきました。
うちはもう、子供は巣立っていますので、平均年齢は70歳を超えているような老人ホームみたいな家ですから、小さな子供のいるファミリー層とは生まれ育った時代が異なるせいか、考え方がどうにも理解できないことが多いのです。
今は子供に「知らない人に声をかけられても挨拶してはダメ」と教えたりもするそうですから、新しく入居したら通常はせめて両隣と向いぐらいにはちょっとしたものをもって挨拶に行くものでしたけど、全くもってあいさつにすら来ないファミリーがいて、そういう家に限って子供が就学前だったり数が多いので、騒音の元になることが多いわけです。
比較的古くからいる向いの方は当初小さな子供が3人もいますのでうるさくするかもしれませんが・・・とあいさつに来られて、しかも全然そこのお子さんはうるさくもないし、とっても静かだし、会釈でもちゃんと挨拶できるお子さんたちでした。就学前のお子さんがいる家でも、わが家の犬を見て話しかけてくれたり、親御さんもきちんと教育されているのか、遊んだ自転車なども整然と並べていました。でも、今いる近所の子供は何と4人もいるんですが、親は会っても挨拶ひとつしないし、子供の数が多いのでそれを盾にとってまあ、毎日やかましいし、しかも通常なら夕飯時であろう18時前後に必ず家の前でキャーキャー走り回るのです。
上の二人は小学生と思われますが一向に挨拶すらしません。
もちろん親が挨拶しないからだと思いますが、まあ、自転車は前の人の家の敷地まではみ出すし、バラバラに放置してあるし、今年は幸い雨が多く日中に夏休みは遊べなかったからまだよかったのですが、私は家でスカイプ等で仕事をしているので、キーキー走り回られるとイライラします。
騒音に反応してうちの犬が吠えてくれたらまだいいのですが、うちの犬は怒りの感情のない菩薩みたいな子なんで、一切吠えませんからもう、ココの子供4人と、うちの隣にいる2人は毎日6人で騒ぎ立てて調子に乗っています。

昨年春ぐらいからこの調子が続いていますので、コロナ禍でどこにも行けないしでもう、かなりのストレスです。

お客さんでもたまに、ご近所トラブルのせいでノイローゼになったとか、もう、嫌で嫌で家から出る事すらできなかったという方もいて、やっぱりどこでもあるんだなというのが実感です。

今や物騒な世の中で、なんだかみんな苛立っているのか、騒音トラブルでは、マンションなどの共同住宅だと上下階のトラブルは多いみたいだし、文句など言おうものなら逆切れされたらどうしようかと思うと何もできずにいるという人もいます。
うちはまあ、戸建てなんで敷地前で自転車を放置さえしなければ生活音として仕方ないと思えないことはないのですが、ひとこと「すみません」とかせめて会釈するとかできないものかと思います。
子供が合わせて6人いるから強気なんでしょうけど、明らかに30代ぐらいで、うちの娘と変わらないぐらいの親です。うちの娘がもしそういう態度を取っていたら私は烈火のごとく怒ると思うのですが、明らかに親ぐらいの年齢の私たちのほうから挨拶しなければ自分たちからは一切会釈もしないような、こういうのが親になっているということが今の時代を象徴している気がします。

夜中に音楽の大音量を鳴らしていて苦情があったと、管理会社からも訪ねてこられましたので、多分このどちらかの家の仕業だと思いますが、文教地区も何もあったもんじゃありません。
そのくせ、ゴミ出し場に「監視カメラ作動中」とか手書きで「掃除している人の気持ちを考えろ」とか「ゴミをここに出すな」というようなプレートをわざわざ出しているのです。例の住人が来て以降のことなんで、かなりやっていることも姑息です。
監視カメラなど置く場所などあるはずもなく、単なる脅しですが、住み心地が悪くなってきたものです。その住人がゴミ出し場を掃除している姿など一度も見たことはありませんが。

数が多いとか、家同士でつるむようになると、わが家のような老人しかいないような家のほうが浮いてしまいますので、何とも嘆かわしいです。
まあ、転勤族の多い地域なので、以前もかなり非常識な(夜中に携帯で外で大声でしゃべったりする子供3人いた家)家族はトラブルを起こしたようで、なんとその隣の家の人(一番まともなご夫婦だったのに)は、あまりにうるさいからと引っ越されました。でも、別の家ともトラブルになったようで、結果的には夜逃げみたいに夜に引っ越して行きましたが・・・。

そのあとに4人子供のいるふてぶてしい母親のいる家庭が越してきたので似たり寄ったりですけど。

3ハウス主星が天王星だし、3ハウスにはずーっとプログレス太陽が居座っていますから、近所問題がカオス状態になるんだろうなと半ばあきらめてはいますが・・・。
母の介護がなかったら引っ越ししたいところですが、なかなか難しいなと思う今日この頃です。(涙
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フィラーって知ってますか? [ひとりごと]

私も初めて聞いたのですが、フィラーというのは、一般的には「詰め物」「間を埋めるもの」というような意味だそうで、よく荷物などが箱に入っていてスカスカで隙間が空いてしまう時、そこに新聞紙とかいろんなものを詰め込んで隙間を埋めているでしょう?ああいったもののことを言うそうです。

でも、美容系の用語では、ヒアルロン酸とか、注入するようなもののことを言うらしいです。

私が今回ここで注目しているのは、実は話の中で
「あの~」「えーっと」「えー」

というような言葉を多用してしまう(無意識に)場合のことで、こういう、「あの~」みたいな言葉を
「フィラー」というそうです。
これの多い人がいますよね?聞いていて何となく心地よくはありませんよね?
私も最近はスカイプ等で話をすることが多いので、なるべく「あの~」とかは言わないようにしているのですがそのせいでついつい早口になってしまいます。

でも、大阪弁なのでどうも間延びしてしまったり、ちょっと言いよどむ時にはついこの「あの~」とか「えっと」という言葉を言ってしまっていると思います。
昨今、本当はいやなのですがどうしてもという場合、レッスン等録音している方もいるんですが、あとから聞き返されたら多分「フィラー」だらけなんじゃないかと思うとぞっとします。

アナウンサーとかはさすがに「あのー」とかは言いませんが、普通にトーク番組などに出ている人とか、最近はコメンテーターみたいな人も多く出ていて、「あの~」を多用されると、非常に聞きづらいです。政治家さんでも結構フィラーの多い人はいますね。昔の田中角栄氏のよく物まねされる「まあそのー」というのもフィラーですね。アナウンサー出身の小池百合子都知事はさすがに流暢ですね。フィラーをほとんど使わないように思います。

フィラーは、文字通り解釈すれば「間」を埋めるものとして必要だそうですが、聞いている方としては説得力がなくなるように感じます。自信がないのかなと思ったり、もしかして言いづらいことをあえて言ってるのかと思ったりもします。
なのでやはりあまり多くの言葉を話す場合に一回ぐらい「あの」と言ってもいいかもしれませんが、センテンスごとにすべて「あのーあのー」と言いまくられると、ものすごく大切なことを話していてもなんかあまり心に響きません。
塾などの講義などでも、話し手があまりにフィラーを多用したらやはり聞く気になれないと思います。
あの林先生はなぜ聞きやすいのかなと思うと、ほとんどフィラーを使ってないですね。

先日、何かしらの番組でせっかくいい意見を言ってるのに、その人がもう「あの~」を数えたくなるぐらい毎回言うので、チャンネルを替えました。

ネット社会になって生身の会話がやはり減っているのか、プロのアナウンサーでも、フィラーはなくてもホントに何度も噛む人が多いなぁと感じます。

私自身も、話す仕事をしているので、本当に気をつけないといけないなと思います。

話し方教室にでも行かなきゃいけないかなと思うこともあったりで、人が話しているのを聞いて、何ともお粗末な人の多い事に自分自身も気をつけないと不快な思いをさせているんじゃないかと思いました。
早口というのも良くないですね・・・。嫌いじゃないのですが、コメンテーターの古市憲寿氏など、何を言ってるのかわからない時がありますので・・・。

私も大阪弁を何とかしたいですがこればっかりはもう、大阪に50年以上住んでいますのでどうにもなりませんが。(関西ローカル番組など、大阪弁が飛び交っていてもはや大阪人にしかわからない会話になっていますが)

書き言葉にはフィラーはないので、会話は本当に気をつけないといけないと思いました。

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許容範囲 [ひとりごと]

許容範囲という言葉を聞くと職業柄どうしてもオーブのことを思い浮かべてしまうのですが、このオーブというのはどうしても柔軟に捉えないと、絶対的に何度しか取らない!というように考えると本当に本によっても占星学の専門家によっても個人差があり、どれが正しくてどれが間違いというのでもないので、きめられなくなります。

たまたま思ったのですが、宅急便などの不在票にある配達時間指定もまた、2時間ごとに時間指定をできるようになっています。
でも、私もよく利用しますが、18時から20時という時間帯を割と指定しているのですが、通常2時間の枠だったら、皆さんは18時から20時なら、19時前後(真ん中らへん)だろうと思いませんか?
なのに、たいていの場合、18時ちょっとぐらいに届くので、下手すると間に合わないケースがあります。ひどい時は不在票を見たら17時45分ごろになっていたりします。
18時すぐに届くならその一つ前の16時から18時を指定すると思いますから、せめて18時半ごろ持ってきてほしいなと思うのですがどうも、書いてある時間の幅の意味が今一つわかりません。たぶんもし16時から18時を指定したら16時すぐぐらいに届くんでしょうね・・・。

事件などでも、被害者が年齢20代から50代・・・とかあるのですが、ものすごい幅だなと思ったりしますし、一般的にもしそうだったら真ん中ぐらいの30代から40代ぐらいなのかなと思うのですが、こういった幅ってやはりオーブ同様個人差があるんだろうなと思うともう、柔軟に対応しないとやってられなくなります。今の時代がなんでも決めつけるといけないからそう言っているようにも思いますし。

ただ、宅急便の時間帯で18時から20時と指定しているのに、18時前に来たりするのはちょっとなぁと思います。配達の人も二度手間になると思うのですが車の混み具合等で仕方ないとしても、早く着いたら電話してもらうなどできないかなと思います。荷物にはたいてい携帯番号を記載していると思うので。

その点amazonは、「置き配」なるものを導入しているので助かります。
犬の散歩に出ている時間にたまたま荷物が届く時などもあるので、じーっと荷物を待っていたらもう、どこにも行けなくなってしまいますから・・・。

結婚相談所などの条件記入の欄等で、お相手の年齢に対する希望などの欄でも、20代から40代とか、幅があると思いますが、実際はたいてい特に男性は年齢の低い方を好みますので、こういう幅は必要なんだろうかと思ったりもしますし、あまり広すぎる幅はかえって混乱を招くようにも感じます。でもきっとこれも決めつけると感じが悪いからそうしているのでしょうね。

とはいえ、占星学におけるアスペクトのオーブは、柔軟に広めに取る方なんですが、タイトなオーブ(0度から5度ぐらい)だとやはり強く出るのは確かです。

やはりすべての許容範囲はあくまでも許容ということであって、「〇〇~〇〇」とあったら、前にあるものが基準なんだと思った方がいいのかもしれませんね。
就職などの場合にもよく「30代から50代まで幅広く採用」、とあっても実際に採用されるのは30代だけだったりすることは良くある話だし・・・。

宅急便のことを思っていると何となく柔軟に書いてあっても実際はそうではないんだろうなと思いました。
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子供が求める親の愛情 [ひとりごと]

最近、2000年代生まれの人を鑑定することが多くなっていて、時代も進んだというか、自分自身ももう、「おばあちゃん」みたいな年齢になってきたんだなとつくづく感じます。

伸び伸びと育った子は、一時的な反抗期とかがあったとしても、基本的には親の愛情を感じて育つので、よほどのことがなければ曲がらないように思います。
ただ、この「伸び伸び」というのは決して放置という意味での放任ではなく、いかに子供を信じて見守れるかということだろうなと思います。

私自身、子育ては正直失敗ですし、決して良い親ではなかったので、逆にその自分の体験もあって、もう少しホロスコープを客観的に観ていけばよかったと今更ながら思っています。
年を経て、人様の場合は客観的に観る事もできますので、親子関係というのはやはり自分の鑑定において主なテーマにしていきたいと思います。

お子さんが10代なのでお母様と両方を知っている場合も多く、あくまでも私の経験ではあるのですが、
やはり一番上のお子さんのことで悩むお母さんが多いという気がします。
私もそうでしたが、最初の子というのは親としても経験したことのない子育てをするわけなので、どうしても神経質になりますし、正解が何なのかわからないまま手探りでの子育てになります。

自分の子どもなのだから愛情を持って当然

というのが一般論ですが、そうはいかない場合もあるのです。
親子ではあっても別人格だし、生まれた時から子供にももって生まれた性格はあると思います。
ただ、育った環境によってやはり子供の性格のアウトラインは形成されるのは確かです。

母親を示す惑星は月ですので、母親によるところが大きい就学前の子供は月星座の影響を強く受けます。なので、やはり母親と子供(特に娘)の場合月星座同士の相性は重要です。

親はもう、自分の子供なので産んだのだから一番わかっているという確信がある場合が多く、どこか自分の考え方や性格と似た部分があって当然だと思う傾向もあると思いますが、それがことごとく異なるケースもかなりあります。そうなってくると、親が思っているその子の性格とその子の本当の性格とがかなり乖離してしまうので、親が良かれと思ってやってきたことが、その子にとっては必ずしもありがたくない場合も起きます。
私もそうでした。5ハウスにリリスがあり、先行月蝕のテーマにもなる私にとって、二人の娘の月は何の因果か、どちらもスクエアの位置関係です。
なので多分私なりの愛情?が彼女たちの求める愛情とはまるでとんちんかんになったと思います。
どちらも水の星座なので、これまた私はいささか彼女たちにとっては口うるさいだけの厳しい母親で、

そのままを認めてほしい

と思う水の星座の子供たちの個性を潰してしまったかもしれません。
太陽星座同士のスクエアの場合は、夫婦など他人だとなかなか理解しえないのですが、親子の場合は本質が違うという認識を案外しやすいかもしれず、「自分とは似ていない」ものに対しては比較的俯瞰してその子を見れるかもしれません。
ただ、月同士のスクエアは情の行き違いになるため、結構シビアな関係性を生みます。

親にとって手のかからないと思われるようなタイプの子が意外と悩んで相談しに来たりします。
親はどうしても表面的にその子の言動から見えるもので判断しがちですが、手のかからないと思われる子は、手がかからないようにふるまっているのであって、どこかでパンクしてしまうのだろうと思います。ただそれを親に言えずに自分で解決しようとするのです。
親がたいてい子どもよりも精神的に子供の場合が多いのです。(私もそうです)
親が子供っぽいことがわかっている子供は、自分一人でしっかりしようとするし、実際醒めた感覚で物事を見るようになるので、表向きはしっかりした優等生が多くなりますが、かなり内面にいろんなものを抱えたままですので、どこかでガス抜きをしないと壊れてしまいます。

愛情深く常にその子のことばかりを気に病むお母さんがいますが、お子さんはホロスコープを観ると意外と強くてドライですので、お母さんの愛情が重く感じているというケースがありました。
でも、お父さんと離婚しているので、お母さんが必死で娘さんを育ててきたという恩義を感じてなかなかそれが言い出せずにいます。
経済的には余裕のあるおうちなので、娘さんは現在一人暮らしをしていますが、表向きは優等生ですが、恋愛依存のようになってしまっていて、お母さんに内緒で相談に来られたりします。

守秘義務は絶対に守るので、お母さんの知らないお嬢さんの実態を私は聞かされますが、溺愛されているのにもかかわらずこの娘さんは常に心に淋しさ(分離不安)を抱いています。
お母さんからしたら絶対にショックだろうなと思うようなことも結構聞かされます。

でも、このお母さんは自分自身が命よりも子供が大事だとおっしゃいますしそれは事実だと思います。
お母さんはいつも娘さんと一緒に戦ってきた戦友だからとおっしゃるのですが、やや共依存的な感じになっているので、娘さんはお母さんと離れなければ…と思ったのでしょう。
それ自体は正しい選択だったと思うのですが、共依存というのは怖く、悩みができるとすぐにお母さんに電話して泣いたりするそうなのでお母さんとしては必要とされているなら、とすぐに娘さんのもとに駆け付けてしまうというのもやや問題なのかなとは思います。(結構遠方なので)
この親子関係も月同士が150度で太陽同士もスクエアなのに、お母さんがお嬢さんを自分自身の分身のように感じすぎているところがあります。

子育てには正解などないから、恋愛と同じで、悩むんだと思いますが、信頼関係がしっかりと出来上がっている親子は、物理的な距離がいくらあって、年に一回ぐらいしか会えなくても、互いに自立しています。
一般的にはやはり親のほうが子離れをしっかりできているケースが多いですが、子供が小さい時にはしっかりと子供を見守ることができて、子供を自分の所有物として見ず、子供が本当にSOSを出した時には心底、でも冷静に手を差し伸べる、しかも子供がSOSを出しやすいように日ごろからコミュニケーションを取っているというケースです。
羨ましいぐらいそういう関係ができている親御さんもいらっしゃいます。

多分前世のカルマとしては子育て等はない方ですので、相性の程よい子供が生まれます。

子供が本当に求めている愛情をそのまま親に言えるように日ごろからしておかないとダメなんだろうなと思いますが、
親だからと言って常に正しいわけではない
というのがやはりありますから、ちょっとしたボタンの掛け違いから、どんどんずれてしまうというのが子育ての怖いところだと思います。

私自身も、自分の母は確かに過保護でしたが、本当はもう少し放っておいてほしかったし、実際は構われることが好きではないのに一人っ子だったので集中的に興味を持たれましたし、母子家庭だったのでどこか母に逆らえない共依存ではあります。
この環境が自分の子育てにもしっかり影響してしまったんだろうなと思いますが、ある程度の年齢になれば、やはり子供が自分自身で解決していかないといけないでしょう。
親として未熟だったなと今は思えますが、子育て中にはなかなか冷静にはなれなくて、かなり感情の赴くままに動いてしまったなという自分自身の反省も込めて、これからも子育てカウンセリングに取り組みたいと思います。

いろんな親子関係を見てきて、これほど難しい問題はないなといつも思います。




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達観と諦観 [ひとりごと]

何方も好きな言葉ではありますが、前者は割と良いイメージがあるのに対して、後者には「諦める」という文字があるせいか、後ろ向きなイメージでとらえられることが結構あるようです。

でも、「あきらめる」という言葉は仏教用語で、かつては
「あきらかに・みる」という意味合いだったようです。それが次第に「ギブアップ」という感じの「断念」の意味でのあきらめる、というイメージになったため、後ろ向きな印象になってしまったと思われます。

ところが、「諦観」というのは実は確かにあきらめるのですが、物事の本質をきちんと見極めたうえであきらめるという意味なので実は前向きな諦め方なのです。

今場所にその進退を賭けて臨む横綱白鵬関ですが、ずっと逃げ腰だったイメージが最近はあります。
そのまま引退したら本当に「諦めた」という後ろ向きな印象しか残らないですが、
もしきちんと取り組みを終えたうえで、自らの限界を知り、諦めて引退するならそれは「諦観」ですので余計に横綱としての品格等が求められるのだと思います。
少し前に引退した鶴竜関は、自らの引き際をきちんと考えて「諦観」して引退したと思います。

一方の「達観」はこんな境地になれたらなぁと常々思っていることですがこれもまた仏教用語のようで、「物事の本質を見極め、動じずにいること」ですから、「諦観」したうえで「達観」できたらもう、立派な精神力を持ち合わせているといえるでしょう。

この、「物事の本質を見極める」ということがどうも、人間は邪念や自我が強いと難しくなります。
じゃあ、本質って何なのかと思うとまた、これがなかなかわかるようでわかりません。

ネガティヴな発言をすると私などは仕事柄どうしても否定されがちなのですが(特に家族にはさんざん言われます)ネガティヴでも後ろ向きであるとは限らないのです。
それがこの「諦観」だと思います。
いくら考えても仕方のない事もあります。そういった場合、そこに本質はないと思って一旦諦めるというのは決して後ろ向きな解決策ではないと思います。

一旦停止することで新たに見えてくることもあるはずなので・・・。

どうしても無理だと思ったらその時「達観」して諦めることができるはずです。

似ているようでまるで違うニュアンスのこの二つの言葉ですが、年齢を重ねてくるとこういったことが問われる場面は結構あります。

何もしないでただ諦めてしまったら後悔しますが、できることをとりあえずやってみたうえで、諦めるなら、それは「あきらかに・みる」だと思います。

どうしてもあきらめなければならないことというのは誰にもあると思いますが、やりつくして諦めたなら後悔はないはずなので、できることがある限りは探し続けるべきなんだろうなと、私自身の経験上、切に思いました。

ネガティヴでも前向きなら、全然かまわないと思います。
やたらポジティヴでもすぐにあきらめてしまう人もいますし、反省や過去を振り返ることをしなければ、いくら前向きであっても進歩はないと思います。

いつか達観できるようにはなりたいものですが、そのためにはいくつものことを諦観していく必要があるのかもしれません。

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結婚相手選びがうまくいく人 [ひとりごと]

いろんなクライアントさんの夫婦関係を今まで観てきましたが、やはり結婚というのは正直
夢物語はドラマの中だけで、一般的には

現実生活

と言えますので、愛がすべてだといくら思っても、ハッキリ言って

「お金」は大事なのです。

ただ、お金持ちであればいいというのではなく、結婚相手を上手に見つけた人というのは女性の場合は
たいてい相手の「才能」にほれ込んでいるケースだと思います。

顔や年収や仕事内容で選ぶのではなく、その人の持つ「才能」に対してリスペクトしていることが
やはり男性のプライドを最も満たすことになります。

要するに「この人にはかなわないな」と思える部分があれば、素直についていくことができるからです。
もちろんそこには人間性も関係するため、ただ才能があるだけではリスペクトできませんから、職業だけで選んではダメです。
どんな職業であっても「才能」を感じる事ができないとやはりAIと結婚するわけではないので、生活していく上で精神的な満足度を得ることはできません。「才能」の中にはやはり性格的要素ははずせないでしょうし、何より女性が最もご主人に対して感謝の気持ちを持つことができる条件は
「家事に協力的」
であるということです。仕事に才能があり、心に余裕のある男性は家事に協力的です。
結婚前にこれを見抜くのは難しいですが、やはり一人暮らしの経験があってある程度の家事を楽しめてしまうような男性は「才能がある」と言えます。

男性でも、女性のビジュアルやステイタスだけで選んでしまうと特定の人を除けば現実を知ってしまうと大抵は夢破れ~みたいにはなります。
男性で奥様に対していつまでたっても変わらない愛情を持っている人は、奥様がやはり謙虚で、あまり前に出ないというのはあるかなと思います。経済観念がしっかりしているというのもあるでしょう。
ただ、おとなしいのではなく、いざというときには頼りになるというシンの強さは絶対に必要で
「やるときはやる」という部分や、男性が安心して甘えられる天性の母性のようなものを感じ取れる女性を選んでいる男性は失敗しにくいと思います。
普段は謙虚だけれど、いざというときには肝が据わっている女性は奥さんとしてやはり適しているでしょう。

このように書いていくとまあ、自分自身は全くそういう面はないので、

だめだこりゃ

と思います(苦笑)

平たく言えば

男性の場合は「おおらかさ」
女性の場合は「芯の強さ」
がポイントかもしれません。
そこに「才能」と「謙虚さ」が加わったらたぶん離婚したいとは決して思わないのではないかなと思います。

才能のある男性は稼げますし、それを支える奥様がドンと構えている家は安泰ですね。
何と言っても心にゆとりがありますから・・・そしてお互いを敬うことができますからね。

ある番組で3Kというのをやっていましたが
あの「きつい・汚い・危険」ではありません。

「謙虚・敬意・感謝」
です。
これ、結婚生活においてもすごく重要だと思いませんか?
これがある限りその家庭は盤石だと思います。

わが家はどれも足りない・・・トホホ。

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これ便利です [ひとりごと]

羽なし扇風機.jpg

これ、なんだかわかりますか?

肩掛け式の、羽なし扇風機なんです。

今年は妙に暑くなるのが早いので、今月から既に冷房のお世話になっています。
でも、やはり電気代が怖いので、なるべく普段家にいる時間が多いため、その中で作業をするとき、特に台所に立っているともう、汗だくになることがあるので、そういう時のために、首もとにこれをかけてやると爽やかな風が出てきて首元が涼しくなるのです。
三段階の切り替えですし、強風の場合はかなり涼しいです。

ただ…音はそれなりにするので、強風にすると少しうるさいです。

でも、便利なのと、リーズナブルだったのと、充電もUSBなのでと思って使っています。

外出の際にもいいかもしれませんし、あって困らないなと思いました。

これから本格的に梅雨になりそうだし、蒸し暑いのはただ暑いよりも私は苦手なので、この扇風機が役に立つかもしれません。

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型破りとは [ひとりごと]

何の世界においても「型破りな人」というのはいると思うのですが、もともとが歌舞伎から来ているというのにはびっくりしました。

あと、私が子供のころ何となく憶えていましたが、「子供電話相談室」なるラジオ番組があり、僧侶の無着成恭さんという方が(名前を何となく憶えている程度ですが)回答者として非常にユニークだったそうですが、この方が「型のある人が常識を破ったら型破りで、型のない人が常識を破っても単なる形無しだ」と言ったそうでそこから来ているとか・・・。
もともとは歌舞伎の一般的な「型」に捉われずそれを打ち破った亡くなった中村勘三郎さん(57歳という若さで亡くなり、とてもカッコいい方でしたので残念に思いました)がこのことをおっしゃっていたそうです。

何でもそうだなと思います。
ここでいう「型」というのはすべての世界に通用すると思いますが、自分のスタイルのようなものでしょう。
占星学でも、もともとの古典的な占星学があり、それが「型」となっていて、派生して現代占星学があると思います。
でも、何もないのに占星学を語ることはできないし、私自身ももともとは正統占星学(古典占星学の流れをくむもの)を学んでいますので、基本は絶対にこれだと思っています。
ただ、やはり時代の流れに沿って何事も柔軟に対応する必要はあると思うので、例えば

ハードアスペクトは凶意はあるけれど「悪い」と決めつけるのではなく、人が成長するためには必要な葛藤であるという心理占星学の考え方がとても好きなのもあり、
正統占星学を「型」とした中で時として型破りな観方をしてもいいのかなと思っています。

でも、昨今、独学でネットで学ぶことも簡単ですし、自分自身が「型」がないのに占星学を仕事にしてしまっているような人もいるように思います。

もちろん、それで儲けることができればそれも才能なのでその人の勝ちなのですが、長く続ける中でやはりどこかで壁にぶつかるとは思います。

よく言われていますが、最近、役者さんやお笑い芸人さんなど「本職」ではない人が映画のアフレコをしていることが多く、プロの声優さんのお株を奪うようなことが多々あります。
でも、「鬼滅の刃」の大ヒットのおかげか、プロの声優さんのすごさがここにきて再確認されています。地味な仕事だと思いますが、すごい仕事だと思うので、一時期憧れたこともあります。

声優さんにはやはり「型」があるのではないかと思います。
なのでいくら俳優さんや芸人さんが「真似」?をしても本職として長年培ってきた「型」はないと思いますし、これは「形無し」になるんだろうなと思います。

「餅は餅屋」と言いますが、やはりそう思います。

「型」というのはやはり地象サインのなせる業です。理屈ではなく、やはり変わらないものですから、年月がモノを言うと思います。ぶれないもの、芯としてしっかり根付いているものです。

「型破り」はまあ、天王星のようなものですから、水瓶座、風星座の得意な分野です。
今年はどうしても風の時代でもあるので、型破りなものが結構出ています。
でも、人が知らないところで努力している人の場合「型破り」となって成功するでしょうけど、自分で勝手に型破りだと思っていても形無しの場合はたぶん長くは続かないでしょう。

木星が魚座入りしました。7月末まで少しの間、何かハッキリしたものより、「曖昧さに漂う」ような優しさが必要な時期かもしれません。(今年は梅雨が長そうですし、木星も魚座の副主星ですし古典占星学では守護星でした)木星も魚座、海王星も現在魚座でルーラーですから、この二つがともに「水の星座のルーラー」にある時期、ちょうど梅雨の時期になります。
この間に、オリンピック開催を決定したり、決めないといけないことは多々あるのでしょうけど、ワクチンの問題や災害がいつ起きるかわからないような亜熱帯化したような今の日本はまさに「曖昧模糊」とした感じですから、人々が寄り添いつつ弱い立場の人を思いやるということが必要になっているのではないでしょうか?
今月は火の星がありません(月が火の星座の日を除けば)。
火星が蟹座にあって品位が良くないので怒りのコントロールがカギになります。

木星はその意味では今年は全般には水瓶座にいるのが「型」だとすれば一時期魚座入りするのは「型破り」になります。
この時期に何ができるのか、各々が考えることはとても重要だと思います。

この魚座木星、12月末にまた来ますが、来年は5月11日にはもう駆け抜けてしまいますので、通常一年ぐらい同じ星座にいるはずなのに、変則的に魚座を駆け抜けていきますから今、二か月ほどの間魚座にいるということが何となく意味があるように思います。
水害もさることながら、地震はやはりあちこちで起きていますから、これも怖いですね。

全ての人にとって良い事などはなかなかあり得ないのですが、なるべくどの人にとっても納得のいく形ができるとやはり安心です。

みんながそれぞれぶれない「型」を持っていることが、やはりいざというときには救いになるのではないでしょうか?
私は仕事上の「型」はあると思いますが、人間としてのシンにそれがあるかというとなかなか自信は持てませんし、「ぶれないもの」を今一度考えていきたいと思います。

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