SSブログ

「ありがとう」の反対語 [ひとりごと]

ありがとうの反対語は何かと問われてすぐにわかる人はどのぐらいいるのでしょう?
正直私も全然わかりませんでした。この年になってもわかりませんでした・・・。

お盆が過ぎ、明日は新月ですが、獅子座26度で起きますので私にとっては9ハウスです。
このところ、2-8ハウスばかりで日蝕や月蝕などのポイントが起きていたので、てっきり8ハウスかと思っていましたが今回は9ハウス、いよいよ真剣に研究に取り組むべきだなという感じです。
でも、プログレスの月が1ハウスの土星と合なので、どうも感情が醒めています。
なにに対しても熱くなれないし、淡泊になってしまうのです。
それでも、9ハウスで起きる今回の新月を起爆剤にしたいものです。

で、「ありがとう」の反対語ですが、「当たり前」だそうで、あるサイトを観ていて目についたのです。
確かにありがとうを漢字で書くと「有難う」になり、有難い、つまりあることが難しいことなんだということで感謝しなければならないということのようです。
なので反対語はあって当然、つまり当たり前ということなのだそうです。

確かに私自身、「当たり前」と感じていることの最たる例が家族です。
いるのが当たり前になっているため、改めて感謝したりしないのですが、それが良くないんですよね。
お客様や、初めて会う人などには必ず「ありがとう」というけれど、家族にはなかなか言えません。
毎日顔を合わせているからざわざわ言う必要もないか、となってしまうこと自体がダメなんですよね。

でも、「当たり前」の反対語が「感謝」なのかなと思うとちょっと違う気もしてそこが難しいのですが・・・。
当たり前とは当然ということだから、反対語は偶然?ようするに「有難い」こと?となるのかもですが。
なんだかわけがわからなくなってきましたが(笑)こういうことを考えるのが結構好きなもので・・・。
人は「ありがとう」と言われて怒る人はまずいないと思います。
要するに「当たり前」にあるものや、当たり前だと感じていることに対して感謝の気持ちを持つべきであるということなんでしょう。
コロナ禍でも、普通に生活できていて、ごはんも食べていられるし何とか健康に過ごせていることに「当たり前」だと思わず「めったにないことなんだ」と有難く思わないといけないんでしょうね。

野菜が高いのが何とかならないものかと思いますが、安いのが当たり前ではないんですよね。
高い野菜を買わず、もやしとか豆苗などを工夫していただいたらいいんでしょうし、おかげで好きではない料理も結構効率よくできるようにはなりました。
これこそ「ありがたい」ことですね。
母がいて当たり前のように家事をしてくれていましたが、ここ数年はもはやどんどんできなくなることが増えてきているので、最近はもう、できない事のほうが当たり前です。
家事を真剣にしてみて、いかに大変かがわかったので、これこそ母に感謝しないといけませんが、耳が聞こえないし会話がままならないので、ついつい言葉をかけることもなくなってきています。

そもそも今のこのコロナ禍も、当たり前のように平和だった世界に対する警告でしょう。
生きていることそのものに感謝しないといけませんね。

それにしても毎日灼熱地獄です。
7月のように雨が多すぎると困るのですが、今のような状況だと雨が「有難い」ですから勝手なものですね。
母によく「あんたは感謝が足りない」と言われたものですが、似たような言葉で「おけんたい」というのがあります(京ことばだそうですが)。そういえば「あんたは何でもおけんたいや」ともよく言われたような気がしますが、意味がわからず放置していたんですが、「当たり前」と同じ意味ですね。

家族がいなくなって一人きりになったらきっと「ありがとう」の気持ちが痛いほどわかるんだろうと思います。
一人でいきがってもできないことはたくさんあるので、9ハウスは哲学とか真理の意味合いもあるし、感謝ということについてもっと真剣に考えないといけないなと思いました。


nice!(2)  コメント(4)